個人主義

「(個人主義とは)党派心がなくって理非がある主義なのです。朋党を結び団体を作って、権力や金力のために盲動しないという事なのです。それだからその裏面には人に知られない淋しさも潜んでいるのです。既に党派でない以上、我は我の行くべき道を勝手に行…

トロツキーと野生の蘭

「他の人びとに対する自分の道徳的責任を、何であれ自分が心を尽くし魂を尽くし精神を尽くして愛している特異な物事や人物に対する自分の関係にまで結びつけようとする誘惑は、むしろ退けようと努めるべきなのだ。この二つが偶然一致する人びとも中にはいる…

所有欲と愛

「すべて愛と呼ばれるもの。ー所有欲と愛、これらの言葉のそれぞれが何と違った感じをわれわれにあたえることだろう! ーだがしかしそれらは同一の衝動なのに呼び方が二様になっているものかもしれぬ。/だがときどきはたしかに地上にも次のような愛の継承が…

現在

キルケゴールはいう。「反復されるものは存在していたのである、でなければ、反復されないであろう」(『反復』)。マルクス・アウレーリウスはいう。「つねに最初の知覚に留まり、自己の中から何ものをもこれに加えないようにすれば、君には何ごとも起こら…

期待、追憶、反復

「期待は追う手をすり抜けてゆくかわいい娘である。追憶は美しくはあるが今ではもうけっして用を足せない老婆である。反復はいつまでも飽きることのない愛妻である」(キルケゴール『反復』)。

反復

「反復は、反復する対象に、何の変化ももたらさないが、その反復を観照する精神には何らかの変化をもたらす」ドゥルーズ『差異と反復』。

これが人生であったか、ではもう一度

「そのような深淵から、そのような重い病衰から、また重苦しい疑惑のための衰耗から、われわれは新たに生まれて立ち戻って来るー脱皮して、より感じやすくなって、より悪辣になって、悦びに対する一そうデリケートな舌をもって、一そう快活な感覚をそなえて…

無感動

マルクス・アウレーリウスはいう。「怒るのは男らしいことではない。柔和で礼節あることこそ一層人間らしく、同じく一層男らしいのである。そういう人間は力と筋力と雄々しい勇気を備えているが、怒ったり不満をいだいたりするものはそうではない。なぜなら…

愛する勇気(自由意志の感情)

アランはいう。「いずれにせよ愛する勇気(自由意志の感情)は、忠実であろうと、すなわち、疑いのなかでも好意的に判断し、愛する対象のなかに新しい美点を発見し、自分自身をこの対象にふさわしくしようと多少とも明白に誓うことによって、われわれをこの…

馬と騎手

馬と騎手についてウィトゲンシュタインはいう。「何らかの理由で人々が自分に対してあまり優しくないとき、特別には優しくないとき、いかに自分が意気消沈してしまうかに今日改めて気づいた。なぜ自分はこんなに不機嫌になるのか、と自問した。私の答えは、…

幸福

アランはいう。「想像された幸福はけっして手に入れることができない。でもつくり出す幸福というのは、想像されないもの、想像できないものなのだ。それは実質的なものでしかあり得ない」。

結局「ニート」も「フリーター」もいなかった

どの時代にも労働をしたくない者もいれば、好きな仕事しかやりたくないという者もいるだろう。しかし、ある時代に急にそのような趣向の者が爆発的に増加したとされ、「ニート」や「フリーター」と名指された。個人的には労働の拒否や好きなことをして生きる…

左翼とはマイナーである

ドゥルーズがどこかで「左翼とはマイナーであることが必要だ」といっていた。自分自身のことをいえば、性質か環境かは判らないが、マイナーである(あらざるをえない)ことを志向する(してしまう)ので、日頃は「私は左翼である」と思っている。もちろん無…

オレンジジュース

入浴後に決まった銘柄のオレンジジュースを一杯だけ飲む習慣がある。そのオレンジジュースは、近所の酒屋に毛が生えたような小さなスーパーで買っているのだが、だいぶ前から品切れしている。同じ銘柄のリンゴジュースなど他の種類のものは棚いっぱいに売っ…

共産主義とは・・・と考える

ガタリとネグリの『自由の新たな空間』の新訳が出版されている*1。「「共産主義」という言葉には汚辱が刻印されている。なぜだろうか? この言葉は集団的創造を可能にする労働の解放を指し示すものであるにもかかわらず、人間が集団主義の重圧のもとに破壊さ…

映画は共産主義に似ている

とスガ秀実がいっていた。「失われたフィルムを、かつて誰かが見たことが「私」を嫉妬させはしない。その人とて、今その映画を見ることはできないからだ。「私」が嫉妬するのは、ただ、かつてその映画があったという事態のみである。これは、ほとんど恋愛そ…

間歇的な不実

いつかこんな夢をみた。グラウンドの真ん中で野球の試合が四方八方で行われている。ちょうどそれぞれの試合の外野にあたるところ、言い換えると多数の外野の入り混じるところに、ある女性とふたりでいるのだが、話もせず、終始様々な方向から飛んでくるボー…

「分配における正義」より

民主制社会においては、公益に訴えることが一つの政治的慣行となっている。いかなる政党も、何らかの承認された社会的利益に不利となるような立法を要求するとは公言しないであろう。だが、哲学的観点からは、このような慣行は、どのように理解されるべきな…

リベラル左派勢力の再編を

季刊雑誌『SIGHT』の特集「反対しないと戦争が終わらない」のインタビューに加藤紘一と菅直人が出ている。個人的にはこのふたりを中心にリベラル左派*1勢力の再編を行ってほしいと思っているので象徴的な人選だ。加藤紘一は先日『強いリベラル』という自書を…

雨が降るように人が死ぬ

昨年の朝日新聞朝刊に立岩真也が延命医療について「この社会は亡くなるまでの数日、数月、数年を過ごしてもらえない社会ではない」と述べていたことを思い出す*1。 *1:その後「初歩的なことを幾つか」として『希望について』に所収

正義

ジョン・ロールズは「公正としての正義」で「正義」について次のようにいっている。「正義は、通常の意味においては、社会的諸制度のもつ多くの徳性のうちのただ一つのものを表しているにすぎないと理解されるべきである。というのは、社会的諸制度は、不正…

精神論が跋扈する

阪神タイガースの鳥谷敬選手は、5打数2安打3四球とすべて出塁するも木戸克彦から元気がないと批判されている*1。果たしてこれで評論家なのだろうか? こういった精神論はありふれた有害な例である。少なくとも5回出塁しながら1度もホームに返せない後続…

今こそ鳥谷を1番に!

日本国のアホ首相が「美しい国」とほざいているが、「美しい国」なんて目指すものではなく、ましてや「美しい国」の本質や実体なんてどこにもない。各人が各人に応じてあるものやことを「美しく」思ったり、「醜く」思ったりするだけである。「国」に対して…

プラグマティズム

ローティは「プラグマティズム・デイヴィドソン・真理」(『連帯と自由の哲学』所収)で、「次のテーゼを堅持する立場が「プラグマティズム」ということになる」という。(1)「真なり」は説明用法を持たない。 (2)信念と世界との間の因果関係を理解すれ…

ヘビの環節

村上龍の『13歳のハローワーク』に「この世の中には2種類の人間・大人しかいないと思います/2種類の人間・大人とは、自分の好きな仕事、自分に向いている人間で生活の糧を得ている人と、そうではない人とのことです」とある。この文句に惹かれたことも…

「やりがい」による使い捨て

続いてハンス・アビングは、人は合理的に振る舞うという経済学者の予想に反して芸術に身を投じる人が絶えない理由を次のようにいう。 「新規参入者の期待が極端に高く、それにはある種の救済を求める地点にまで達していることが挙げられる。結果的に、これら…

芸術と就職

大学進学を芸術学部に選択したのは就職に不利だとされていたからだ。自分にとって「就職する」ということは「死ぬ」にも等しいことだった。ハンス・アビング「金と芸術」に次のようにある。 「七〇年代には、私の仲間の多くの学生が、ブルジョア社会を非難し…

『アメリカ』に出てくるバルコニーの青年

フランツ・カフカの『アメリカ』(『失踪者』)で、深夜2時にバルコニーで勉強をしている青年がどういうわけか昔から気になっている。ストローブ=ユイレの『アメリカ(階級関係)』を見てからか。青年は学生で昼はデパートの販売員をし、夜に勉強をしてい…

すべての個人の貢献が滅菌される

ジョン・E・ローマーは『これからの社会主義』でいう。「才能ある諸個人間の競争を組織する最小限の構造として市場をみるにすぎない新古典派の「希薄な」見解にたいし、現代の「濃厚な」見解は、すべての個人の貢献がそれをつうじて滅菌され、洗練される、人…

リチャード・ローティ

朝日新聞の朝刊でリチャード・ローティが6月8日に死去したことを知る。個人的にここ数年最も影響を受けている哲学者のひとりだった。 http://www.nytimes.com/2007/06/11/obituaries/11rorty.html?_r=1&oref=slogin