府中周辺農村の農民層分解

  • 下染谷村持高別階層表

1835(天保6)年には、70石以上の所有者が出現する一方、3石以下が無高も入れて約過半数を占め、著しい両極分解が伺われる。
         
          1725 1767  1788  1835
         (享保10)(明和4) (天明8) (天保6)
階層区分      名請数   名請数   名請数   名請数
100石以上    0     0     0     1 
100〜70未満  0     0     0     1 
70〜40     0     0     0     0
小計        0     0     0     2(4.3%)
40〜30     1     2     2     0
30〜20     1     1     1     0
20〜10     3     0     0     3
15〜10     7     7     9     2
小計       12    10    12     6 
         (28.5)(25)  (32.5) (13.1)
10〜9      0     5     3     1
9〜8       4     2     1     4
8〜7       3     3     2     2
小計        7    10     6     7 
         (16.7)(25)  (16.2) (15.2)  
7〜6       4     5     2     2
6〜5       1     2     4     1
小計        5     7     6     3 
5〜4       3     2     2     2
4〜3       4     1     0     4
小計        7     3     2     6
         (26.2)(7.5) (5.4) (13.1)
3〜2       4     3     3     2
2〜1       2     4     2     7
1石以下      5     3     6    11
小計       11    10    11    20
         (26.2)(25)  (29.7)(43.5)
0         0     0     0     2(4.3)    
合計       42    40    37    46

  • 府中新宿持高別階層表(1783(天明3)年3月)

宿場という性格上か、さらに激しい分解をみせている。84石の四郎兵衛と65石の三四郎は、他所からの新参百姓であるという。また無高が20%を占めるが、店借りの者が多く、商業に携わっていたと考えられる。

階層      人数  備考
156石台   1   民八
84      1   四郎兵衛
65      1   三四郎
20〜15   2  
14〜10   6
9〜7     8
6〜3    21
2〜1    17
1石未満   22
無高     20   内店借16・地借4(内2人は旅籠屋) 
合計     99


府中市編さん委員会『府中市史 上巻』、府中市編さん委員会、1968、p958ー962