馬と騎手

馬と騎手についてウィトゲンシュタインはいう。「何らかの理由で人々が自分に対してあまり優しくないとき、特別には優しくないとき、いかに自分が意気消沈してしまうかに今日改めて気づいた。なぜ自分はこんなに不機嫌になるのか、と自問した。私の答えは、「自分がまったく不安定だから」というものだった。その時、自分は馬に乗った下手な騎手とまったく同じように感じているのだ、という喩えが浮かんできた。馬の機嫌がよければ、事はうまく行く。だが馬に少しでも落ち着きがなくなると、騎手は不安になり、自分の不安定さに気づき、自分が完全に馬に依存していることに気づく」(『ウィトゲンシュタイン 哲学宗教日記』)。
同じくアランはいう。「馬から落ちるのではないかという恐怖は、ぎこちない、均衡を欠いた動きから生まれるのだ。それによって、落馬から救われると、自分では思いこんでいる。最悪なのは、このような動きをすると、馬のほうがおびえてしまうことだ/馬に乗れる人はいっさいの叡智を、ほとんどいっさいの叡智をもっている」(『幸福論』)。