どんな運動であれ

運動を実現するために身を費やすことはしたくない。エリック・ホッファーは『大衆運動』でいう。「高まりつつある大衆運動は、運動の主義や約束によってではなく、個人的存在の不安や、無味乾燥さや、無意味さから避難する場所を提供して、追随者の注意をひき、追随者を引きとめるのである。運動は、胸を刺すような欲求不満をもつ人に、絶対的な真理を授けたり。彼らの生活を悲惨にした困難や悪習を除去することによってではなく、欲求不満をもつ人びとを、無力な自己から解放することによってーつまり彼らを、しっかりと結合された、喜びにあふれた集合的統一に抱き寄せ、吸収することによってー彼らの傷をいやすのである」。こういったものはいらない。あるとすれば目的の実現を技術的に成すために離散集合すればよい。