退屈な選択

仕事をしないで好きなように生きたいと強く願う。しかし、それが叶うのは実践できる背景を持つごく一部の者だけである。殆どの者がそのように望んでも叶えることができない。生存のためには収入を得なければならない。
どうせ収入を得なければならないのならば、できるかぎり自分が「好きなこと」を仕事にしたいと考えるのが当然であろう。「好きな仕事」が安定した収入を得ることができ、短い労働時間であるならば何も問題にはならないが、そのような仕事は限られているだろう。「好きな仕事が」低い収入で長時間労働を課せられるならば、「好きな仕事」などしたくない。では「好きではない仕事」が相対的に安定した収入を得ることができ、短い労働時間であるならばどうなのか? 
「好きではない仕事」が低い収入で長時間労働を課せられるならば、「好きではない仕事」など全くすることはできない。しかし、できるかぎり多い収入を得ることができ、短い労働時間である「好きでない仕事」が多い社会があるならば、現在の社会よりはまだマシだ。日和見主義者と看做されるかもしれないが、できるかぎり多い収入を得ることができ、短い労働時間である「好きではない仕事」を増やすことが社会として必要だと考える。それは非常に退屈であるが、希望を叶えるには情熱など必要としない。