結局「ニート」も「フリーター」もいなかった

どの時代にも労働をしたくない者もいれば、好きな仕事しかやりたくないという者もいるだろう。しかし、ある時代に急にそのような趣向の者が爆発的に増加したとされ、「ニート」や「フリーター」と名指された。個人的には労働の拒否や好きなことをして生きることに大いに共感するが、果たして実際にそのような者がどれだけ多くいるのか。
好きなことをして生きるには金がいる。金がない者は好きなことをして生きれない。金がある程度万人に回る時、つまり好況時には好きなことをして生きる可能性が高まるが、その時は「ニート」は存在せず、「フリーター」は否定的には捉えられていなかった。「ニート」や「フリーター」など否定的に語られる存在が可視化されるのは、決まって金が回らない時、つまり不況時である。そのような時、労働を拒否し自分のやりたいことしかやらない者が増加するとみなされるが、なぜ金がないのにそのような無茶がきくのだろうか。
金が回り始めたとされる現在、労働を拒否し、自分のやりたいことしかやらない輩はどれほど増えているのだろうか。それとも反省も含めて、勤労でやりたくない労働をする者が増え始めたので金が回り始めたのか? そうではないだろう。金が回れば、結局「ニート」も「フリーター」もいなかったことになる。金が回らない決して少なくない一部の層を除いては。