山田昌弘『希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』を読む


リスク化・二極化する日本社会、戦後安定社会の構造変化ー職業・家族・教育の不安化、ゆえに希望が喪失される、という現状分析は、その通りだと思う。
しかし、「いま何ができるのか、すべきなのか」では、夢への過大な期待をあきらめさせ、適当な労働に就くように対策を取れといっているように聞こえる。結局は、階層化は仕方がない、あぶれた人々をいかにうまく資本に吸収できるかという話なのか。
フリーターとは、夢の追求などとは関係なく、いわゆる「相対的過剰人口」のことだと単純化してしまってはいけないのだろうか? そもそも著者の言う戦後安定社会(1990年代まで)とは日本(における)資本主義の例外であって、現在、単に資本主義本来の形態に戻ろうとしているに過ぎないのではないか?
そういう意味で、戦前(明治維新から敗戦まで)の分析がほとんどない(戦前は前資本主義とでもいいたげな記述があるのみ)のは必然的だといえる。 本書は、あくまで「戦後」のスパンで見ることで可能な分析である。もし「明治維新」からのスパンで現在を見るとどうなるのだろうか?