原蓄の風景のネガティヴな露顕

地震による交通ー循環の突然の「停止」とその結果としての都心における「群衆」の滞留は、縁辺的な境界領域に疎隔・排除されてのみ棲まうことを赦されていた移動する人々(プロレタリア)を都心に滞留させることによって、「腐敗」を都市内部(街頭)において生じさせることであり、したがって言い換えればそれは、都心における「郊外」の滞留を意味することに他ならないのである。
排除された「群衆」が階級性を打刻されたみずからを発見しない前に、彼(女)らは<交通ー都市の門>というフィルターをかいして臨検され、排除されねばならない。また排除後には都市の門に閂が掛けられねばならない。そしてこの閂は、(・・・)すでに「帰宅困難者」排除のルートにおいて確立されている。すなわち「帰宅困難者は」幹線道路において(のみ)「救済」されることになっているのである。こうしてこの都市空間の「門」はマルクスの<工場の門>と同一に機能するのである。

  • 「原初的蓄積」

新訳の『資本論』(資本論〈第1巻(上)〉 (マルクス・コレクション)資本論〈第1巻(下)〉 (マルクス・コレクション))では、「原始的蓄積」も「本源的蓄積」も「不必要なイデオロギー的思いこみを誘うから」という理由で、「原初的蓄積」と訳されたらしい。