ファスト風土化する日本

三浦展ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y)』を読む。

 「ファスト風土化」とは、日本中の地方で「過去20年ほどのあいだに」起こった現象を示す「ファストフードに引っかけた造語」であり、「それは、直接的には地方農村部の郊外化を意味する。と同時に、中心市街地の没落をさす。都市部でも農村部でも、地域固有の歴史、伝統、価値観、生活様式を持ったコミュニティが崩壊し、代わって、ちょうどファストフードのように全国一律の均質な生活環境が拡大した。それこそがファスト風土」だという。
 疑問に思うのは、本当に20年ほど前は、未だに「城下町などの固有の歴史を持った美しい都市が多数存在し」「都市の周辺には農村が広がり、やはりその地域の固有の自然と歴史のなかで暮らしていた」のだろうか?20年前は、1985年。経験的に言うとどうも実感がわかない。
 どの時点から振り返るかという視点の問題がある。10年前から、20年前から、終戦から・・・(それにしても「戦前」からというのは少ない)。著者が言うように、確かにここ20年で変質した点もあるのは否定しない。しかし、近年まで地方都市や農村があたかも牧歌的であったかのようにいうのは、無理があるのではないか。
 「中央にも地方にも、都市にも辺境にも、そして<東京>にも<故郷にも>、いまや均質化された風景のみがある」と松田政男大島渚の『東京戦争戦後秘話 [DVD]』のパンフレットに書いていたのが、1970年である。この35年前の「風景論」が意味するものと「ファスト風土化」が意味するものの違いがどうも判らない。
 1920年代の日本資本主義論争では、一方の講座派は、農村に封建制が残存していて、日本は資本主義ではないと考え、他方の労農派は、日本はすでに資本制商品経済の中にあり、封建的な残滓は、逆にその所産であり、資本制の発展により解消されると考えた。80年ほど前である。
 19世紀の中頃から2世紀が経ち、漸く農村に残存する封建遺制=コミュニティも消え、資本がすべてを均質化したのであろう。それが「ファスト風土化」なのかもしれないが、その意味するところは、何度も変奏されている内のひとつのような気がして初めて聞いた気がしない。