必然的に国家を経由する暴力

ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ千のプラトー―資本主義と分裂症

必然的に国家を経由する暴力があり、この暴力は資本主義的生産様式に先行し、「根源的蓄積」を構成し、資本主義的生産様式そのものを可能にしている。資本主義的生産様式の中に入り込んでしまえば、盗む者と盗まれる者について語ることはもちろん、どこに暴力があるのかを言うことさえも困難である。そこでは労働者は客観的に丸裸で誕生し、資本家が「着衣」で、独立した所有者として生まれてくる。(・・・)資本主義の枠内に留まるかぎりわれわれはそれをとらえられない。日に日に繰り返されるにもかかわらず、この暴力は既成のもののように現われる。まさに欠損はあらかじめのもの、すでに定められたものと言わなくてはならない。