歴史における反復

 柄谷行人は、「近代文学の終わり」(『早稲田文学』,2004.5;4〜29)において、資本の支配的形態に関する興味深い指摘を、井原西鶴尾崎紅葉、北村透谷を通して行っている*1。その部分を要約する。
 北村透谷は、尾崎紅葉の「伽羅枕」を「粋」と呼び、それは「封建社会遊郭に生まれた、平民的なニヒリズムである」と批判し、それに対して恋愛をもってきた。紅葉は元禄時代井原西鶴に傾倒し、「あらゆるものが商品経済によって支配されているという認識」を得ていた。しかし、この認識は、18世紀初めの封建社会においていわれる時と、18世紀終わりの明治20年代にいわれる時とでは意味が違う。明治20年代には、資本の支配的形態が、西鶴の時代の商人資本から産業資本にとってかわられていた。商人資本の時代に支配的だったものは、産業資本の時代には、商店とあるいは高利貸しとなるが、この時代には銀行があり、これは従来の金貸しとは異質である。
 後に紅葉は『金色夜叉』で、自分を棄てて富に奔った女を、高利貸しになって復讐する男の話を書くが、それは一気に金儲けをしようと投機する男と自分の商品価値を考えてもっと高く売ろうとする女の話である。『金色夜叉』が書かれた明治36(1903)年は、日本が経済的には重工業に向かい、政治的には帝国主義段階に進んだ時期であり、その設定はアナクロニズムであった。一方、透谷のいう恋愛は、はからずも産業資本に不可欠な「精神」である「欲求を満たすのではなく、遅延させる、あるいは、欲求を満たす権利を蓄積する」世俗的禁欲に合致していた(それは銀行の信用制度でもあるだろう)。しかし、当時の人々の意識は、まだ徳川時代とさほど変わっていなく、『金色夜叉』はベストセラーとなった。プラトニックな恋愛は、大衆のレベルには浸透していなく、農村部ではいうまでもなかった。
 しかし、現在の資本の支配的形態は、産業資本の後の段階であり、「生産ではなく、流通における交換の差額から剰余価値を得ようとする」商人資本的な形態になっていて、むしろ透谷よりも紅葉の方がピンとくるように見える。これが「歴史における反復」の現実的根拠である。
 
 なお、透谷が石坂ミナと野津田村(町田市)で出会ったのは、神山平左衛門が「むさし野の涙」を編さんした年である。

*1:日本近代文学の起源』の文庫版にはない同様の指摘が、定本版(『定本 柄谷行人集 第1巻 日本近代文学の起源』)の注(316〜319)にあった。