多摩地方における農民経済の変化

武州多摩郡小比企村(八王子市)

  • 安永期(1772〜1780年)

1773(安永2)年以降、現物納が田畑とも年貢を貨幣で納めるようになった。また名主、八王子商人、さらには江戸・神奈川・川越等の米商人によるかを問わず、米が領主の手を直接経ることなく売買されるようになった。とはいえ、米を貨幣に変える主体は、一般農民ではなく年貢徴収を代行する名主であったことから、米の農民的商品流通が成立したというわけではなかった。

  • 天明期(1781〜1787年)

紺屋渡世、糸繭商、糸繰り等が出現し、また大工、屋根職、木挽職等の余業に携わる者の存在が見られる。自然経済の枠を徐々に取り払いつつ、次の時代の発展を準備する動きが認められる。

  • 文政〜天保初期(1818〜1836年)

八王子織物業発展段階の一つ重要なエポックを画す。農民経済の胎動がさらに顕在化する。139軒中15軒と糸繭商が急増し (1827 (文政10)年)、それは135軒中52軒という織物生産者の広汎な出現(1825(文政8)年)に連関している。織屋農民の特徴は(1)依然として農家副業的ではあるが(2)織物代金の完済を行えていることから前期に比較するとはるかに自立的な性格を示している(3)雇傭労働力に基づく小営業の存在が確認され、織物生産に専業化しつつある層が出現していて、恒常的な販売を意図する商品生産的性格を強く示しつつあった。このように、農村内部に糸商人・織屋農民、紺屋渡世の広汎な出現が見られ、それらが八王子機業全体の繁栄を支える基盤となっている。

  • 天保中期〜安政開港期(1837〜1859年)

生糸・織物生産の地域的分化が進み、織屋農民の没落、養蚕農民・生糸商の台頭が顕著に認められ、幕末・維新期の農業構造の原型が基本的に成立した。農業における地主小作関係、(農村)工業における問屋制家内工業の二系列の生産関係に基礎をおく構造がほぼ確定された。

  • 安政開港以降〜明治期(1859〜1868年)

開港の影響によって、自生的発展度を超える発展を他律的に強要された結果、製糸業においては小営業の早熟的な出現が見られ、明治期へ連なる発展の基礎が突出的に形成された。世界資本主義の影響によって、天保期を歴史的起点として形成された地主小作関係、問屋制家内工業の並存構造が脱却の方向を示して、小営業→マニュ経営に向かって発展の道筋を示し始めた。

八王子市史編纂委員会編『八王子市史 下巻』、八王子市、1967、3:927ー944