非資本制と右翼

イマニュエル・ウォーラーステインは、利潤を排除した脱商品化のプログラム(ようはNPO化か)を左翼が構築しなければ、「世界の右翼が、現在のシステムに替えて、ヒエラルキー的で非平等主義的な新しい世界秩序にわれわれを巻き込むような非資本主義的システムを考えだしてくるだろう」と予測する*1。資本制に代わるオルタナティヴがNPOであるというのは別に驚くこともないが、右翼が資本制システムを保守するとは限らないというのは意外に思えるが、確かにそうである。
ビジネスマンに愛好されているピーター・F・ドラッカーも資本制を批判し、NPOを「ネクスト・ソサエティ*2の答えとしている。ドラッカーを愛読するビジネスマンの多くは、何の根拠もなくいえば、恐らくモバイルな機材を駆使し、いつでもどこでも「ワーク」するような「知識労働者」*3だろう。
封建制と資本制の違いの一つに、奴隷は身体ごと固定した場所に拘束されているが、労働者は「時間決め」で労働力を売るということがあるが、「知識労働者」たちは、時間と空間に限定されずフレキシブルに「ワーク」している。この奴隷にも似た形態はある意味、非資本的である。それを法的には裁量労働制が正当化するが、もしかすると自発的に、雇傭契約ではなく委託契約を求め、労働法の適用範囲から脱し、晴れて事業者=「知識資本家」になろうとする労働者も増えていくのかもしれない。それは使用者の「指示命令」の下で働く必要がないので悪くはないともいえるが、間違いなく右翼に非平等主義的な「自己責任」として領有されるだろう。

*1:イマニュエル・ウォーラーステイン脱商品化の時代―アメリカン・パワーの衰退と来るべき世界』、藤原書店、2004、P341-344

*2:P・F・ドラッカーネクスト・ソサエティ ― 歴史が見たことのない未来がはじまる』、ダイヤモンド社、2002

*3:知識労働者とは新種の資本家である。なぜならば、知識こそが知識社会と知識経済における主たる生産手段、すなわち資本だからである」、ドラッカー、P21