健康は義務である

 「食育基本法」なる代物が、郵政「私」営化で騒がれている今国会で人知れずに成立しつつある。この法律は「二十一世紀における我が国の発展のためには、子どもたちが健全な心と身体を培い、未来や国際社会に向かって羽ばたくことができるようにするとともに、すべての国民が心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと暮らすことができるようにすることが大切である。子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも「食」が重要である。今、改めて、食育を、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付けるとともに、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる食育を推進することが求められている。もとより、食育はあらゆる世代の国民に必要なものであるが、子どもたちに対する食育は、心身の成長及び人格の形成に大きな影響を及ぼし、生涯にわたって健全な心と身体を培い豊かな人間性をはぐくんでいく基礎となるものである*1」ともっともらしく謳われている。
 子供や若者の食生活の乱れが原因ですぐに「キレ」たり、場合によっては法を侵犯するケースが多く、その背景には家庭や学校における躾の低下があり、それは恐らくフリーターやニートになる要因の一つだとも思われているのだろうが、よって「食」を含めて彼・彼女たちを教育することで「健全」にディシプリンすることがこの法の目的だろう。このもっともらしさを装った悪法の起案者の一人が「フリーターはサマワみたいな所へ行け」あるいは「日本は天皇の国」と放言した自民党・武部であることは偶然ではない。そもそも彼・彼女たちがファストフードや安価な食を喰わざるをえないのは、彼・彼女たちを含めた家計の問題、さらには若者を使い棄てるハードな労働条件等によって、チープな飯を早く喰わなければならないからではないのか。この法案にはそのような労働問題に対する視点が全く抜けている。もちろん医療費削減等の福祉切り捨ても絡んでいることはいうまでもない。新自由主義的な自己責任が「食」にも課せられるのが目に見えている。自分の健康は自分で管理し、良き国民・労働力として国家・資本に奉仕しろということだ。ナチスのように健康は義務になりつつある。