大学の階層化

大学の夜間学部(二部)が30年で半減しているという(『朝日新聞』5月12日夕刊)。数年前に夜間学部に通学した経験がある(中退)。その時も選択肢は乏しかったが更に減少しているようだ。通学していた学部も今年から新規募集を取りやめたという。明治大学の教務課は「大学まで進学させる家庭が一般化し、有職学生の数が減った。社会人の場合は大学院へ関心移っている」とみているというが意識的な誤認であることは明らかである。
今はまだ余裕があるかもしれないが、これから徐々に家計のストックが尽きていくことは目に見えている。夜間学部が昼夜開講という美名で統合され、事実上授業料が値上がりし、統合された社会科学系の学部も夜間大学院も実利的なビジネススクールと化している。金銭的余裕がないが、役に立たない学問を学びたいという者は大学に入学できないということである。もちろん金銭的余裕があれば昼間、文学であれ哲学であれマルクス経済学であったとしても学ぶことができる。今後、低所得者層が増加していくだろうが、日々の労働で素朴に抱く疑問や不平等を意識化したいというニーズが増えてもそれに応える場はなく、自分の労働力を自己研鑽(スキルアップ)する場しか残されていない。大学の階層化(本来からそうなのだろうが)が進んでいる。野呂栄太郎がかつて『資本論』を講述中(大学ではないが)、「労働者の質疑が常に日本歴史の現実問題に向けられていることを知り、これに応ずるため」に「日本資本主義発達史」を構想したというエピソードが残っているが、このような場(関係性)のほとんどが失われてしまっている。
警備最大手のセコムの決算は、従業員の入退室を終日見守る監視カメラなどの受注が急増し特需だそうである。住民基本台帳が誰でも閲覧可能であることの是非が問われているが、昨日、大手広告代理店系列のマーケティングリサーチ会社から「住民基本台帳からの閲覧により無作為に選ばせていただきました」との調査依頼のハガキが不気味にも届いた。閲覧に制限がかかったところで(制限はかけるべきだが)、個人情報が管理されているという事実は何ら変わらない。正規労働者、非正規労働者、そして資本にも大学にもエントリーできない者たち(ニートと呼ばれているが)の怒りは事前に摘み取られてしまい、個別に分散するしかなくなってしまうのだろう。