労働力の商品化と恐慌

 資本主義社会の再生産過程が、単に資本の生産物としての商品のみによって行われるのであれば、恐慌は販売と購買との分離を基礎とする購買と支払との分離によって、いい換えれば信用関係によって、その再生産規模を拡大した場合に、不均等なる発展に伴う価格の下落から支払不能に陥りそれが再生産過程を一時攪乱するものとしなければならないであろう。しかしそういう攪乱ならば必ず一定の周期をもって繰り返されるということにはならない。またそれは全産業部門に一般的にあらわれるものともいえない。(・・・)元来、恐慌現象は、(・・・)商人乃至商業資本的投機によって価格の騰貴の予想の下に堆積される商品在荷の内にその真の原因が隠蔽されることになるのであって、予想された価格が実現されないで支払不足に陥ることを直接原因としてあらわれる。したがって現象的には商品は生産はされたが販売されないということに起因するように見えるのである。しかしそれだけのことであれば恐慌はいわば商品経済一般のに共通な無政府的な生産に伴う過不足の解決方法ではあっても、資本家的商品経済に特有なものとはいえない*1
 ところが資本主義社会の再生産過程においては、(・・・)資本自身によっては生産せられない労働力なる商品が、他の一切の商品と相対応する重要な地位を占めている。むしろ他の商品をして商品たらしめるといってもよい地位を占めている。/資本も、その構成の高度化によって相対的過剰人口としては生産するが、しかしそれは資本の商品生産物としてではない。そしてその点が、一方では資本の再生産過程を、特に拡張再生産過程を、与えられたる自然人口に制限せられることなく或る程度まで行い得る根拠をなすと同時に、他方ではまたその無制限なる拡大を制限するものとして作用する根拠にもなる。(・・・)恐慌現象が資本主義社会の根本的矛盾の発現として、そしてまた同時に現実的解決をなすということは、この労働力の商品化にその根拠を有しているのである*2

*1:宇野弘蔵「恐慌論」『宇野弘蔵著作集 第五巻』、岩波書店、1974、p57

*2:同上、p59〜60