議会制民主主義

代表するものと代表されるものの関係が失効しているのはいうまでもない。しかし、はからずも日本国籍を刻印されてしまっている者で、なおかつ選挙権を持つ者が、自由民主党なる政党に一票を投じてしまってよいのだろうか? また白票を投じてしまってよいのだろうか? 可処分所得に困らない者たちは投じてもらって結構。本当にそのような者たちは少数であるはずだ。ほとんどの人たちがそうではない。自己を規定する物質的状況(今の自分)とこうありたいという心情(本当の自分)を意図的にズレさせているにすぎない。
30歳そこそこで時間空間を問わず文句も云わず、「社員」として黙々と資本に使われ、史上空前の利益に奉仕している者も、25歳そこそこで資本の空き待ちリストにエントリーしたままで、「フリーター」なる周縁労働者として使い棄てにされている者も、20歳そこそこでウザくて何もする気も起こらない「ニート」なる者も、総じて自分を規定している物質的状況を直視するべきではないか。
自分を物質的に規定する資本に逆らうことは困難かもしれない。だからといって資本に都合のいい政治的選択をする必要はない。国家と資本は大の仲良しである。自由民主党に投じるということはめぐって自分の首をしめる結果になることを忘れてはならない。株式会社の原則は一株一票だが議会制民主主義の原則は一人一票である。いわゆる「社員」も「フリーター」も「ニート」も資本を変える権利はなくとも政治を変える権利は原理的に有している。