ヘビの環節

村上龍の『13歳のハローワーク』に「この世の中には2種類の人間・大人しかいないと思います/2種類の人間・大人とは、自分の好きな仕事、自分に向いている人間で生活の糧を得ている人と、そうではない人とのことです」とある。この文句に惹かれたこともあったが(今だに惹かれることもある)、このような言い方はむしろ有害だと思う。自分で自分の仕事を決定できる能動的な社会であればいうことはない。しかし、現実は不透明な受動性に多々規定されてしまう社会である。そのような偶然性を適度に調整できるような社会の方が必然性の社会よりも望ましいと思う。
『働きすぎる若者たち』の阿部真大のように、こうした『13歳のハローワーク』的な見方への批判が若年層から出ているのは使い勝手がよい。それは、ドゥルーズが『記号と事件』でいう「自分たちは何に奉仕されているのか、それを発見するつとめを負っているのは、若者たち自身だ。彼らの先輩が苦労して規律の目的性をあばいたのと同じように。ヘビの環節はモグラの巣穴よりもはるかに複雑に出来ている」ことを多少なりとも解きほぐしてくれる。