今こそ鳥谷を1番に!

日本国のアホ首相が「美しい国」とほざいているが、「美しい国」なんて目指すものではなく、ましてや「美しい国」の本質や実体なんてどこにもない。各人が各人に応じてあるものやことを「美しく」思ったり、「醜く」思ったりするだけである。「国」に対しても例外はない。個人的には「美しい」と思う「国」はどこにもない。そうはいっても、「美しい」と思うことやものが皆無ではもちろんない。たとえば「美しい」と思える人がいる。下世話に「美しい」(容貌をしている)と思う人(ようするに好みの問題)もいないといえば嘘になるが、特に美しく感じる人はなぜかスポーツ選手が多い。その理由は、大岡昇平の『俘虜記』に出てくる米兵の眼のあたりに現れた一種の憂愁の表情の美しさ、「対象を認知しようとする努力と、次に起そうとする行動を量る意識の結合が、(しばしば)こうした悲しみの外観を生み出す。運動家に認められる表情」の美しさからであるかもしれないが、それが原因であるかは判らないし、知る必要もない。
元F1ドライバーのミカ・ハッキネンなど「美しい」と思えるスポーツ選手がいたが、阪神タイガース鳥谷敬は、今、個人的に「美しい」と思えるプロ野球選手のひとりである。といってもその窮屈そうなバッティングフォームが美しい訳でもなく、守備が(エラーの数よりもずっと堅実ではあるが)華麗であるわけでもない。理由が判らないと何度も繰り返すことになるが、判りやすい物語でいえば、例えば昨年のオールスターゲームで、直球勝負だとかフルスイングだとかいった醜い体育会的な雰囲気の中で、その選球眼の良さと場の雰囲気を読めない実直さから、ひとり平然と四球を選んで、一塁ベースに向かったところは非常に美しかった。とにかく理由は判らないが鳥谷が「美しい」と思える選手であることは事実である。といってもやはり好みの選手である理由は、鳥谷の走攻守揃った野球の能力を信じ、好んでいるからなのだろう。
そういった鳥谷だが、球場で観戦する際には、恐らく阪神ファンと称する人たちから、単なる日ごろの欲求不満をぶつける対象として特に選ばれることが多いようだ。また球場だけでなくウェブ上でもやたらと攻撃されているように見受けられる。そうした光景はサヨクを罵って欲求不満を解消している光景と良く似ている。今年タイガースが不調の主因を鳥谷を1番にしたことという文句がどんなに多かったことか。残念ながら鳥谷独りの出来でチームの出来を左右してしまうほどには未だ至ってないし、不調の主因は、やはり井川が抜けたことが大きいだろう。
岡田監督は頑固な監督だが、そうした声に押されてかどうかは不明だが、鳥谷を1番を外して主に6番を打たせている。しかし、鳥谷の打率はそう高くはないが、(6月22日現在の)出塁率は実はタイガースの規定打席中で1番高く、リーグでも12位であり、他チームの1番打者の中で鳥谷よりも上なのはヤクルトの青木と読売の高橋のみで、横浜の仁志よりも中日の井端よりも鳥谷の方が上である。1番打者には出塁率が高い選手を置くという教科書的なセオリーがあるならば、鳥谷を1番に置くことが最も実際的である。個人的には出塁率の高さなどの数字で鳥谷を1番に置くことを好んでいるのではない。1番という打順が好みであり、また鳥谷が1番を打つところを見たいという不合理な理由に過ぎない。鳥谷は打順は何番でも関係ないと平等主義の発言を好み、それは人間として非常に好ましく思うが、野球は平等主義ではなく、1番の方が6番よりも階層が上なのはいうまでもない。鳥谷は未だ化けていない。阪神ファンならば鳥谷を化かしたほうが阪神の未来にとって合理的であるのは間違いない。1番に日替わりに庄田選手や桜井選手を起用し、一喜一憂するのではなく、鳥谷を1番に起用し続けることが鳥谷を化かす最善の方法であり、阪神を強くする最善の方法であると思う。今こそ鳥谷を1番に!