「分配における正義」より

民主制社会においては、公益に訴えることが一つの政治的慣行となっている。いかなる政党も、何らかの承認された社会的利益に不利となるような立法を要求するとは公言しないであろう。だが、哲学的観点からは、このような慣行は、どのように理解されるべきなのであろうか。たしかに、それは、(パレート的な形での)効率の原理以上の何かであり、我々は同時に二つ以上の観点について最大化することはできないから、民主制社会のエートスを所与とすれば、最も不利な状況にある人々の観点を選び出し、平等な市民の諸自由と相容れる形で彼らの長期的な見通しを最大化するのが当然である。そのうえ、我々が正義にかなっていると最も強く確信する諸政策は、明確にこの階級の福祉に少なくとも寄与しており、従って、それらの政策は全般的に正義にかなっているように思われるのである*1

*1:ロールズ「分配における正義」(『公正としての正義』所収)