健康報国の義、天晴れ也

藤野豊『強制された健康―日本ファシズム下の生命と身体 (歴史文化ライブラリー)』(吉川弘文館、2000)より

ナチス・ドイツだけではなく、日本においても健康は義務となっていた。1938(昭和13)年1月11日、厚生省が誕生する。「厚生」とは「健康を維持しまたは増進して、生活をゆたかにすること」であり、国民にとって馴染みのない漢語であった。
厚生省の政策として、まず同年5月17日〜23日に国民精神総動員健康週間が設定される。この運動の一環として開かれた国民精神総動員体力向上大講演会で、厚生大臣木戸幸一(周知の通り桂小五郎の孫)は「国民各自が自己の身体は自分だけのものではなく国家のものである。各人の体力増進は単に一身の幸福であるのみならず、一家の繁栄、一国の隆昌を招来する所以であると云ふことに深く思を潜めて、国家の為に之を鍛錬し、之を強化し、以て健康報国の信念を保持することが肝要であります」と講演した。まさに健康であることが国家への国民の義務とされた反面、病者、障害者は「非国民」視されていく。藤野は「生殖段階から国民の健康と体力を国家が管理し、「人的資源」として利用もすれば廃棄もする体制、「存在に値する生命」と「存在に値しない生命」を国家が選別した体制」を「ファシズムファシズムたる所以」とみなしている。
厚生省と労働省厚生労働省として再編された現在、この体制が強力に回帰しつつある。良き国民であり、良き労働力であれ、さもなくばゴミとして廃棄してもいいと。健康報国の義、天晴れである。食育を下から推進するのは結構であるが、食育基本法であれ健康増進法であれ、例えば国旗国歌法や通信傍受法や個人情報保護法と絡み合ってこの体制へと収斂することが明白であり、それを問わずしてお上の権威に乗ってしまうのは危険である。ファシズムは上からだけでなく下からも推進されることを歴史から学ぶべきである。