すでに存在するものを、出来るだけ利用せよ

と清沢洌は『暗黒日記』でいう。「何故なれば既にあるものは存在する理由があり、これを利用することは最小の犠牲で足りるからだ」。また「左翼、右翼は根本を考え、自由主義は目前の改良を考える。右翼は国体明微に根本をおき、自由主義は目前に余りに多く…

どんな運動であれ

運動を実現するために身を費やすことはしたくない。エリック・ホッファーは『大衆運動』でいう。「高まりつつある大衆運動は、運動の主義や約束によってではなく、個人的存在の不安や、無味乾燥さや、無意味さから避難する場所を提供して、追随者の注意をひ…

退屈な選択

仕事をしないで好きなように生きたいと強く願う。しかし、それが叶うのは実践できる背景を持つごく一部の者だけである。殆どの者がそのように望んでも叶えることができない。生存のためには収入を得なければならない。 どうせ収入を得なければならないのなら…

希望と預言

リチャード・ローティは『リベラル・ユートピアという希望』で『共産党宣言』や『新約聖書』を読む際には、預言が書かれているあたりは軽く読み飛ばし、希望が表明されている部分に集中したほうがよいという。ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』でいう…

望むこと

ウィトゲンシュタインは『哲学探究』でいう。「人は或る動物が怒り、恐れ、悲しみ、喜び、驚いているのを想像することはできる。だが望んでいるのを想像することは? なぜできないのか。/話すことのできる者だけが、望むことができるのか。或る言語の使用に…

理念

どんなに崇高な理念であっても、その理念の実現のために現在が犠牲になってはならない。現在が幸福でないような理念などない。現在を少しでもよりよく変えていく以外に理念の実現はない。現在の積み重ねが未来になるのであり、未来のために現在があるのでは…

好きなように生きる

「好きなように生きる」ことが好きな仕事をするということであるならばうんざりする。好きな仕事であれば何時間でも仕事をすることを厭わないのか。好きな仕事をしたいのではなく、単に仕事をしたくないのだ。好きな仕事をして「好きなように生きる」のでは…

クワインは

ノイラートの舟のたとえを『ことばと対象』の冒頭に引用しているという。それは「ローティがいっそう鮮明な形で打ち出すことになる」が、「今手にすることのできるものから始めるしかないが、希望を捨てるべきではない」ということだという。

コミュニズム

「共産主義社会においては社会が生産の全般を規制しており、まさしくそのゆえに可能になることなのだが、私は今日はこれを、明日はあれをし、朝は猟をし、午後は漁をし、夕方には家畜を追い、そして食後には批判をするー漁師、漁夫、牧人あるいは批判家にな…

映画を撮ることについて

映画は撮りたい人が撮ればいい。映画に必要とされているとか、されていないとかいうこともレトリックとしてあるだろうが、そのような言い方は好まない。映画を必要としている人は必ずいる。必要としている人が映画を撮ればいい。世界は映画ではない。映画が…

juxta>新選組とナショナリズム

http://www015.upp.so-net.ne.jp/juxta/text/details/ti/ti2.htm

労働者の金はどこに行く?

なけなしの金しか持っていないが、メガバンクに預けてはろくでもない資本に金が流れるので、非営利でNPOなどにも融資している労働金庫(中央労働金庫)に口座を変更しに行く。セブンイレブン(セブン銀行)で手数料無しで引き出せるなど労働金庫の利便性は高…

自発性と奉仕

「セツルメント活動」と「新体制運動」の一翼としての「勤労奉仕」とを同一視せる我妻の見解は、まさしく「社会ファシズム」的(もしくは「左翼崩れ」的)観念形態の一典型であろう。しかも、そのこと(の本質的意味)を、我妻は、毛頭みずから意識あるいは…

勝ち馬に乗る

現在雇われている会社は「持続可能な社会の実現」を謳ってたいそうご立派であるが、環境大臣ナニガシとのパイプがあり、選挙の翌朝、勝ち馬に乗って良かったと経営者の周りで騒いでいた(因みに前職の専門新聞社は「フリーターはイラクへ行け」のアホとパイ…

2005年9月11日

この日付は、この国の人々が自らの手によって最悪の選択をした日として歴史に刻印されるだろう。この選択を阻止できなかったことに、同時代人としてまた未来の世代に対して大きな責任を覚える。もう後戻りはできない。

議会制民主主義

代表するものと代表されるものの関係が失効しているのはいうまでもない。しかし、はからずも日本国籍を刻印されてしまっている者で、なおかつ選挙権を持つ者が、自由民主党なる政党に一票を投じてしまってよいのだろうか? また白票を投じてしまってよいのだ…

ふたつの動作の間

労働として時計をつくっているときの動作と趣味で映画を編集しているときの動作は酷似しているが、一方においては金が払われ、他方においては払われない、かつてジャン=リュック・ゴダールの映画の中で、登場人物がそのようなことを云っていた。このふたつ…

鈍い眼

限界状況の全体の展望について明晰すぎる眼をもつ者は、おそらく絶望してしまうほかないだろう。限界状況を、日常生活の一側面としてしか、うけつけない鈍い眼の持主だけが、それと闘うことができるのである(略)しかもこの眼の鈍さは、忍耐心によって支え…

資本主義社会とは

実質的にはいわゆる搾取階級と被搾取階級という、あらゆる階級社会に共通な階級的対立の上に存立するのであるが、形式的には商品形態をもってこの実質的関係を隠蔽するのである。しかもこの形態の関係は、他人の剰余労働を剰余価値として実現しながらこれを…

資本とは

「貨幣、生産手段、商品等の種々なる姿をとり、労働力の姿をさえとる価値の運動体*1」に他ならないが、会計についてのある教科書本を読んでいると、資本についての端的な記述があり、その資本の動きを把握するものが会計であると明快に解説している。 会社が…

『新選組!』続編決定

大河ドラマ『新選組!』の続編が2006年1月に放送されることが決まったという*1。現在放送中の『義経』は、今のところ、登場人物が単に記号(義経は義経である、清盛入道は清盛入道である・・・)と化していて、必然的な歴史の流れにただ身を任せていればよい…

過剰資本と過剰労働力の同時併存

労働力に対する需要増加に伴う労働賃金の騰貴は、一般物価の騰貴と異なって、資本の利潤そのものに対抗し利潤率を実質的に浸食する騰貴である。それは賃金が騰貴したから商品の価格を引き上げ得るという性質のものではない。元来、賃金として支払われる価値…

労働力の商品化と恐慌

資本主義社会の再生産過程が、単に資本の生産物としての商品のみによって行われるのであれば、恐慌は販売と購買との分離を基礎とする購買と支払との分離によって、いい換えれば信用関係によって、その再生産規模を拡大した場合に、不均等なる発展に伴う価格…

資本と倫理

財団法人社会経済生産性本部が行っている「第16回 2005年度新入社員意識調査」の結果によると、自分の良心に反する手段での仕事の遂行を指示された場合、「あまりやりたくないが指示の通り行動する」と答えた者は43.3%で、41.1%の「できる限り避ける…

120年周期の反復

柄谷行人は『at』0号(太田出版)所収の「革命と反復 序説」で、これまでの自説を翻して、1990年以後をコンドラチェフの60年周期ではなく、その倍の120年周期で考えた方がよいという。60年周期で考えると、バブル崩壊から始まる1990年代が昭…

大学の階層化

大学の夜間学部(二部)が30年で半減しているという(『朝日新聞』5月12日夕刊)。数年前に夜間学部に通学した経験がある(中退)。その時も選択肢は乏しかったが更に減少しているようだ。通学していた学部も今年から新規募集を取りやめたという。明治…

失業のメカニズム

将来が「不確実」→流動性選好>期待投資収益率→貨幣需要増える→利子率上がる→投資減る→生産減る→労働需要減る→労働供給下回る→失業→(消費減る→販売量下がる→労働需要減る→失業増加)→螺旋状に悪化 例えばトヨタ自動車が代表するように多くの資本が過去最高…

信用と恐慌

以前、与信管理の職務に携わっていたことがあった。与信とは字義通り「信用を与えること」である。信用とは「きみを信用している」といった”trsutの”意味ではなく” credit”の意味である。 通常の買い物は、貨幣と商品を交換することによって成立する。売り手…

臨界下における認識

戸坂[潤]は、[・・・]学術的な(解釈学的)哲学とジャーナリズムが連んで抹消した、抑圧された歴史のベールを剥ぐことの必要性を認識していた。日常生活のイデオロギー的基礎の形成に手を染めたジャーナリズムが「日刊」という枠組みに繋ぎ止められてい…

奴隷の水準

「民度」という聞き慣れない言葉をよく耳にするようになった。てっきり差別的なメンタリィティーを持った者たちが作った造語だと無知ゆえに思い込んでいたが、辞書を引くと「人民の生活や文化の程度」という意味で、例文には「民度が高い」とある*1。 どうい…